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「もうひとつの医学」という選択

 伝統医学と現代医学とでは、人間や病に対する考え方が根本的に異なるため、現代医学の立場から伝統医学を理解することはできません。

 伝統医学の「人間の精神と身体は不可分の関係であり、心身全体がまとまりを持って機能している」「一部分の不調は、関連し合う全体としての問題でもある」という発想は、現代医学にありがちな「心と体のつながりや生命機能の全体性を軽視した、部分の故障への関心とその修復へのこだわり」という態度と決定的に異なります。


 鍼灸や漢方が日本でなじみが薄い理由は、明治以降の近代化政策によって日本の伝統医学の長い歴史が蔑ろにされ、“現代医学一辺倒”の医療体制が築かれてきたためです。

 一方、世界に目を向ければ、中国や台湾、韓国などの中国文化圏はもとより、今や欧米諸国でも鍼灸は広く親しまれており、アフリカや東南アジアなどの貧しい地域では、高価な薬や医療機器を必要としない効果的な医療として需要が高まっています。これは、現代においても鍼灸自体の有用性が失われていないことの証しでしょう。

 さらに伝統医学とこれに基づく鍼灸治療は、病の正体である〈心身全体の秩序の乱れ〉に目を向けて、その秩序を正すことにおいて本領を発揮するため、現代医学が不得意とする病に対して対症療法や局所治療にとどまらない根本的な治癒の可能性を見いだすことができるという点で「もうひとつの医学」としての価値があるのです。

 また、伝統医学は〈人間の在り方自体〉〈その人の生きざま全て〉を病の背景として重んじる思想であり、生きている限り否応なく心身を消耗させられていくという人間の現実を直視する哲学です。これを現代において実践する意義は、〈人が病むということに対する深いまなざし〉を持ち得ることと、現代医学の恩恵を受けられない人々に〈生命の摂理に適った無理のない心身調整〉という治療の選択肢を提供できることであると考えます。

 

伝統医学の身体観・人間観

 伝統医学では、人体を「植物を育生する大地」と「その大地を栄養する幾筋もの川の流れ」という自然界のイメージでとらえます。

 人体における河川は「経絡けいらく」、川の水は「気血きけつ」と呼ばれ、これらのよどみない順調な流れが大地たる人体を栄養し、健全な身体機能と精神活動を維持しています。(血管と血液に似ていますが、もっと幅広い概念です)

 逆に言えば、すべての心身の不調や発病の裏には必ず 「流れの滞りや詰まり」「水量の過不足」「水質の汚濁」などの異常が存在するということです。

 それを伝統医学特有の診察で見つけ出し、鍼灸施術で調整し正常化することによって、生気(気血)が心身のすみずみに行きわたり、〈
病を治癒させ、健康状態を維持するための仕組み〉が再び円滑に働きはじめます。伝統的鍼灸治療が他の医療と一線を画すのは、この〈自ずから治ろうとする生命機能を後押しする作用効能〉であると考えます。

 だからこそ、整形外科領域以外の内科や精神科の疾患も、心身の機能的な異常も、現代医学による適切な治療法がない病でさえも、改めて伝統医学的に診断されることで鍼灸の治療対象となり得るのです。

 

薬や手術に頼らない「人間らしい」生活を

 現代医学の薬や手術は、確かにここぞという時に頼りになる心強い存在です。しかし、病的な部分以外の正常な機能を狂わせてしまうおそれのある諸刃の剣であることを忘れてはいけません。その危険性を顧みず、軽率に受け入れたために、取り返しのつかないほど心身を壊してしまったという事例が少なくないのです。

 また、「この薬では治る見込みがない」と分かっていながら、今以上に症状が悪化することをおそれて服薬が止められない依存状態も深刻な問題です。

 薬に頼る生活を望まない人には、伝統的鍼灸治療がうってつけと考えます。鍼灸によって症状を軽減させつつ服薬量を調整していくというのが理想的でしょう。

 ただし、すでに長期間服薬していて心身への悪影響が深刻な場合、施術効果が反映されにくく、治療の長期化が避けられないケースもあります。(減薬・断薬を強制することはありません。医師と相談の上、各人の意志で行ってください)


 一生飲み続けなくてはならない強い薬や後遺症のおそれのある手術が必要になる前に、鍼灸治療や生活改善を通じて病気の重症化を防ぎ、最期まで人間らしい生活を全うしていただくことは治療家としての本望です。


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